【西部洋平選手】進学に悩んでいた中学3年生が、未経験のサッカーで3年後プロの世界へ

プロスポーツ選手を目指す子供達のほとんどは小学生の頃にはそのスポーツに馴れ親しみ、大きくなったらプロとして活躍するのだと日々、夢見て練習を頑張っていると思います。

しかし中には、それまで1つのスポーツに没頭するということもなく、高校生になってからはじめたスポーツでプロの世界に飛び込む人もいます。

今回は高校生から本格的にはじめたサッカーで3年後にはJリーグの世界に飛び込んだ西部洋平選手についてご紹介したいと思います。

突然はじまるサッカー人生

西部選手は子供の頃から運動神経がずば抜けて良く、とくに足の速さは群をぬいていました。しかしこれといって没頭できるスポーツに出会えず、小学生と中学生の頃は剣道を中心に卓球やバスケットボールなど幅広くチャレンジしていたそうです。そんな彼にサッカーというスポーツを進めたのが中学3年生の時の担任で、サッカー部顧問の先生でした。

当時から背が高いうえに、誰よりも優れた運動能力を持っている西部選手に帝京第三高校のセレクションを受けてみないかと勧めたのです。それまでサッカーといえば体育の授業や友達と遊び程度にしかやったことがなかったのですが、セレクションを受けることになり、中学3年で180センチという長身だったため担任の先生がゴールキーパーというポジションを選んだといいます。

セレクションは子供の頃から本格的にサッカーをやってきている人が集まっていたのですが、なんとその中で見事合格します。

その理由は、サッカーの能力をみるテストだけではなく、50メートル走や垂直跳びなどの体力測定もあり、そのほとんどで1位の成績を出したからです。ここから西部選手のサッカーに本気で取り組む生活が始まります。

プロの世界、Jリーグへ

高校サッカーでは経験者だらけの中、逆に何のクセもついていなかった西部選手は育てやすかったとゴールキーパーコーチは言っていたそうです。そんな西部選手は元々の運動神経の良さもあり、どんどん実力をつけ、なんと2年生になるとレギュラーの座を勝ち取ります。この年のインターハイ2回戦に出場した西部選手は何度も好セーブでゴールを守りぬき、プロのスカウト達の目にとまり出します。

3年生になると今度は関東選抜にも選ばれるようになりJリーガーとしての将来を考えるよいになったといいます。そんな西部選手が選んだチームは浦和レッズでした。

浦和レッズの試合を観戦しに行った際、真っ赤なサポーターで埋まるスタジアムを見て「ここで試合がしたい」と思ったそうです。そして1999年、浦和レッズへの入団が決まります。当時、浦和レッズの横山謙三監督は「西部の加入が決まっていたから楢崎取りには動かなかった」と話すほど期待が込められていました。

プロデビューから戦力外

浦和レッズ入団後、2年目の年にチームはJ2にカテゴリーを落としてしまいますが、そんな中、西部選手にチャンスが訪れます。ヤマザキナビスコカップで好セーブを連発した彼は、残り7試合のゴールマウスを任されることになります。この大事な残りの試合がきっかけとなり浦和レッズは1年でJ1に復帰します。

その後、西部選手はレギュラーとして浦和レッズのゴールを守り続けますが、サッカー歴の浅さからか小さなミスなども目立ち、オフト監督へと体制が変わるとレギュラーからも外されるようになってしまいました。

そんな西部選手は2003年、鹿島アントラーズへの期限付き移籍をします。当時の鹿島アントラーズには曽ヶ端準選手がおり出場機会には恵まれませんでしたが、アントラーズの練習では選手同士が試合の時のように言い合う姿に圧倒されたといいます。

その後、2004年に清水エスパルスに期限付き移籍をすると開幕から正ゴールキーパーとして起用されます。2006年には清水エスパルスに完全移籍を決め、2007年には日本代表候補を集めた合宿にも選出されます。

しかし2008年、清水エスパルス内でもポジション争いを繰りひろげるようになります。初めてポジションを奪われた時は、なかなか納得することができなかったがすぐに気持ちを入れ替え、苦手なプレーの練習に没頭します。その後はポジションを奪われたら奪い返しを繰り広げながらも、守護神としてチームを支え続けます。

しかし2010年、清水エスパルスから突然の戦力外通告を受けてしまいます。

そして西部選手は2011年、J2の湘南ベルマーレに移籍をし、その時に始めて今までのサッカー環境がどれだけ恵まれていたかを痛感したと言います。

2012年、プロ入り14年目の年に川崎フロンターレに移籍し、その後の2016年、J1リーグにいた川崎フロンターレからJ2にカテゴリーを落としていた古巣の清水エスパルスに6年ぶりに復帰することになりま

怪我との長い戦い

元々、怪我に悩まされることが多かった西部選手は清水エスパルス復帰後の2016年4月3日のJ2リーグ第6節において右大腿直筋肉離れとなり戦線離脱を余儀なくされます。

この時、全治6週間と言われていましたが、治りが思わしくないうえ筋腱損傷なども重なり9月30日に手術へと踏み切ります。

その結果、6ヶ月もの長期離脱となりましたが、リハビリを経てまたグラウンドに戻ってきます。しかし復帰間も無くの2017年4月23日、今度は練習中に左ハムストリングスの肉離れを起こし全治3ヶ月の負傷を負ってしまいました。現在は怪我からも復帰し、出場機会を狙いながら日々、練習に勤しんでいます。

まとめ

サッカー経験の無いところからわずか3年でJリーグの世界に入り、しかもプロ入りから20年目となる今でも現役でプレーし続けている西部洋平選手。

2018年9月10日現在で、Jリーグ通算300試合出場まであと2試合となっています。

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